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エセ被災民

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ドッグカフェに訪れました昼下がり

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何度か訪れていたのですが、ようやく、このカフェで
ご挨拶したりじゃれ合うお友達と出会えてご機嫌になり(。・ω・。)

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シャンプー&マイクロバブルの予約にはまだ早く
公園での時間潰しも限界で、トコトコと遠征・・・

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気がつけば、甲南大学の正門(?)前に到着v
そして、ふと、ここからもうすぐ行けば
「テント村」があった公園なんだなあ、、と思い出しました。

私の家族は神戸で被災に合いましたが
私自身は、初めて外泊(@大阪の会社泊です、笑)した日に
阪神・淡路大震災が起こりました。
家族との安否連絡がわからなかった数10時間の間、はっきり言うと
死んでるな、、と頭のどこかで思っていました。
近所の高速道路の崩壊や大きなマンションの火災をTVで見れば
若かった私の周囲の人の励ましの言葉なんて届きやしないし
自分でも、頭がぼんやりして事態が理解できなかったのです。
幸い、数時間後に人づてに「人間無事・家は駄目」の話を聞き
母と電話で話せたのは数日後の事、家族と再開したのは1週間後の事です。
それ以来、私は「エセ・被災民」と家族には認定され(笑)
他の人からは被災者として、様々な言葉をかけられました。
純粋な優しさからの言葉もあれば、ブラックジョークもありましたが
私の未熟さもあって、どんな言葉も受け入れられませんでした。
私が、あの日、自宅にいたら高確率で即死だったというのは
全壊した家屋の様子からも明らかで
私が外泊していた事に、家族は心底安堵したそうですが
ある、タクシーの運転手から言われた
「あんたと逆で、たまたま神戸におって死んだ人もおるんやなあ」
の何気ない一言は、たまたま生き残った私を10年以上苦しめました。
今でこそ、サバイバーズ・ギルトと呼ばれる一種のPTSDと知られていますが
ネットもまだまだ盛んじゃなかった頃の事
診療を受けるなんて知識も意識もなく
ただただ、自分が苦しむのは必然だとモガくしかなかったのです。

地震に耐性がなかった神戸と
津波への意識があった東北の人々を一緒にはできないでしょうし
個人差もおおいに関係する要素ですが
この度の震災、津波、原発、節電に由来するストレスを受けている人々が
それが、傷の舐め合いと言われようが
同じ体験をしている人じゃないと理解できんやろ!と
心中ささくれ立つのはしょうがないと思うし
外野(と思われる)の励ましなんていらない
「同情するなら金をくれ」モードになってしまうのも
被災地の人に比べればこれぐらい我慢しなきゃ!の気持ちが時々卑屈になるのも
喪ったもの、これからの事を思えば、当然だと思うのです。


義援金をはじめとする行動は、「今」と近い未来を支える力になるでしょう。
でも、被災者の「これから」を支えるのは何でしょう?。
被災者にも平等に訪れる「時間」が解決する事もたくさんあります。
生きているとは、そうゆう事なんです。
頑張ろうという意識は大切だけど
無理・無茶をしなくても、絶対、前向きになれる日が来ますから。

私は、何年後かわかりませんけれども
今からお金を貯めて、三陸海岸に美味しいものを食べに行きたいと思っていますし
また、そんな日が来る事を今から願っています。


追記。

ワンコブログなのに、こんな事を書こうと思ったのは
天皇陛下のビデオを見たのと、#prayforjapanというサイトを知ったからです。
こんな形で、もう、自分がPTSDに苦しんでいないと知るのは複雑な心境ですが
「時間」という治療を得た今の自分を認めてやらなきゃ、とも思うので。。

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